【転載】パキスタン総選挙「シャリーフの四度目の首相ならず」

(小生が敬愛するパキスタン・ウォッチャーで、日本パキスタン協会会員の中野勝一さんが2024年2月8日のパキスタン総選挙関連で執筆されたものをご本人の許可を得て、一言一句変更なしに転載させていただきます)(本稿は総選挙後、2024年2月に執筆されたものです)

去る2月8日、パキスタンでは12回目の総選挙が行われた。下院選挙では、どの政党も過半数の議席を獲得できず、20日、PML-NとPPPは連立政権に向けて合意し、シャハバーズPML-N主導の連立政権が誕生することになっており、 シャリーフの四度目の首相はなくなった。それに至るまでの経緯を振り返ってみた。

 昨年10月21日、シャリーフは四年ぶりにパキスタンの土を踏んだ。帰国にあたっては、軍、司法府や選挙管理委員会の一体となった協力で帰国を阻害していた諸問題の解決、ひいては総選挙に立候補できる見通しが立ったのである。それまで、PML-N関係者はシャリーフがまもなく帰国すると再三述べていたが、なかなか帰国が実現しなかったのはこれらの問題が解決する見通しがなかったからであった。

昨年9月20日、シャハバーズ前首相(当時)はロンドンでメディカルチェックなどのための1か月近くの滞在を終えて帰国した。ところが、帰国後48時間もしないうちにロンドンに舞い戻ったのである。それは電話では話せない何らかの重要なメッセージをシャリーフに伝えるためであった。おそらくシャリーフが軍首脳批判を控える見返りに彼の帰国と首相復帰を認めるというものであったことは想像にかたくない。

シャリーフはPML-N首脳の説得もあってかこの取引を受け入れた。それはそれまでの軍首脳を非難するシャリーフの発言が帰国後、影を潜めていったことからもうかがえた。従来、シャリーフは2018年の総選挙前の自らの失脚の背後には軍首脳があったとするなど軍に批判的なの立場をとってきた。一方、実弟のシャハバーズはどちらかと言えば軍に対しては融和的な態度をとってきた経緯があった。他党は軍とシャリーフとの間のこの取引の存在を非難し、彼を軍のお気に入り(ladlah ウルドゥー語辞書をひいてみると「かわいい」という意味があったが、パキスタンの新聞は「favorite」と英訳しているものが多かった)だと揶揄したのであった。そして、シャリーフは保釈によって、帰国しても収監されるのを免れることを確保した上で、遂に10月21日、帰国したのであった。

帰国してもシャリーフにとり首相への返り咲く障害となっていた法律上の問題がふたつあったが、その解決に手を貸してくれたのが最高裁とイスラマバード高裁であった。シャリーフは2017年7月に憲法第62条1項(f)に基づく最高裁の判決によって議員失格となり、2018年4月の同じく最高裁の判決によって終生議員失格となり、首相への道を閉ざされていた(注)。

(注)憲法第62条1項(f)は誠実で、信頼できる人物であることなどを議員資格の要件と定めている。この規定は議員失格の期間を定めていないため、最高裁にその期間についての判断を求める多くの訴えが起こされた。これを受け最高裁は2018年4月、議員失格の期間は終生とする判断を下した。その結果、シャリーフやタリーンPTI書記長などがその対象となった。

最高裁は今年の1月8日、最高裁が議員失格の期間は終生とする、後者の2018年の判決を無効とした。実はシャリーフが帰国する前の昨年(2023年)6月26日、シャハバーズ政権はシャリーフの首相復帰への布石を打っていた。2017年の選挙法を、最高裁を含む裁判所の判決にもかかわらず上述の憲法の規定に基づく議員失格の期間は5年を超えないと定めると同時に、この規定は2010年に遡及して適用されると、改正したのである。上述の議員失格となったのは2017年7月であったので、この改正の時点では既に5年以上経過していた。これらによって、まずシャリーフの議員失格問題は解決を見た。

さらに、2018年7月と9月に汚職裁判所よりふたつの事案で汚職の罪で10年と7年の禁固刑の判決を下され、収監されたシャリーフはイスラマバード高裁に控訴した。そして、帰国後、控訴審で同高裁は汚職裁判所のふたつ判決を破棄した。これらの一連の措置によってシャリーフはめでたく今回の下院選挙に出馬でき、四度目となる首相就任への道が開けたのである。

 他方、イムラーン・ハーンに対しは、さまざまな事案で刑事訴追がおこなわれた。かつ、彼はひとつの事案の裁判で保釈が認められても他の事案で引き続き身柄を拘束され、現在も獄中にある。そのほか、選管によってPTIの選挙シンボルは認められず、PTIの候補者は無所属で立候補せざるを得ず選挙で不利な立場に追いやられた。また、彼らの立候補届書類が拒否される事例や他党の選挙の大衆集会は認められたに対し、PTIそのような大規模な集会はもちろんのこと、小規模な選挙集会すらも認められないという事例やPTI指導者の逮捕などが報じられた。まさにイムラーン・ハーンやPTIの候補者を選挙から排除する目的の措置であった。

 このようにしてシャリーフの四度目の首相の舞台は整えられた。さらに、1

月に行われた世論調査では、どの政党に投票するかとの問いには45%がPML(PTIは35%)、パキスタンを政治的、経済的危機から脱却させてくれる政治指導者は誰かとの問いには45%がシャリーフ(イムラーン・ハーンは34%)、中央とパンジャーブ州でどの政党が政権を樹立するかとの問いには51%がPML-N(PTIは34%)と、PML-Nが有利との結果がでていた。そして、投票日の2日前の2月6日の主要紙には、「ナワーズ・シャリーフ首相」をうたった紙面の1ページを占めるPML-Nの広告が掲載された(5ページ参照)。このようにして、国内はPML-Nが単純過半数をとり、シャリーフの四度目の首相復帰という雰囲気であった。

ところが、軍もPML-Nも予想もしていなかった事態が起こったのであった。それは、下院選挙でPTIの無所属候補の獲得議席数がPML-Nの候補者のそれを上回ることとなり、PML-Nは単純過半数の議席には届かなかった。つまり、単独で新政権を樹立することが不可能となったのである。まさにこの選挙結果こそがシャリーフ四度目の首相がなくなった根本的な要因といえるのではないだろうか。PML-Nは勝利の暁にはシャリーフを首相に、シャハバーズをパンジャーブ州首相にと考えていたが、この事態を受け同党は首相候補にシャハバーズを指名せざるを得なかった。選挙結果を受けた、この人選は軍が求めたか明らかではないが、軍にとっても好都合であったし、軍もそのような意向であったと推測される。すでに述べたように、シャハバーズはシャリーフとは違い、軍とは良好な関係にあったからである。また、パンジャーブ州首相候補にはシャリーフの長女マリヤムが決定された。

では、なぜPML-Nはこの人事構想をとったのであろうか。ひとつはシャリーフ自身の意向が考えられる。シャリーフは連立政権においてはその厳しい政策決定にあたってはPML-N以外の連立政党の意向も無視できないと、単独政権の重要性を明らかにしていたことがあげられよう。また、自分が首相に返り咲き、シャハバーズがパンジャーブ州首相の座にすわるとなると、マリヤムの同州首相の目はなくなる。すなわち、自らの後継者と考えている娘にパンジャーブ州という厳しい政治情勢のもとで経験を積ませるために身を引いたという見方がある。

 もうひとつはPPPの立場であった。PPPは今回の総選挙では、党首のビラーワルが、選挙が果たして2月8日されるか不透明で、一部では治安やきびしい天候を理由に選挙は延期されるのではないかとの声があった中で、どの党よりもいち早く選挙運動に乗り出し、各地を精力的に遊説した。その結果、PPPは下院で、前回(2018年)と前々回(2013年)を上回る54議席を獲得し、連立政権樹立のキャスティングボートを握ったのである。これによってPML-NはPPPの協力なしには連立政権を樹立できない立場に立たされることとなった。PPPのビラーワル党首は各地での選挙集会で、シャリーフの四度の首相は認められないとの立場を鮮明にしていたが、彼の口からはPML-Nに対する非難めいた発言は聞かれなかった。それは、首相候補がシャリーフでなければ、PML-Nの連立政権樹立に協力するということを暗示していたとも言えた。事実、PML-Nの首相候補がシャリーフではなく、シャハバーズと決まると、ビラーワルがシャハバーズ支持を表明した。事実、その後の両党の連立政権樹立に向けた交渉で、シャハバーズを首相候補、ザルダーリーを大統領候補とすることなどで合意を見た。

以上述べたようにシャリーフの四度目の首相の夢は消えたが、彼の政治生命は終わったわけではない。おそらくシャリーフはシャハバーズ政権やマリヤム・パンジャーブ州政権に政策の助言や指示を行うとみられるが、現在すでに74 歳という高齢であり、健康不安説もぬぐえない。

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