(小生が敬愛するパキスタン・ウォッチャーで、日本パキスタン協会会員の中野勝一さんのパキスタン政治関連メモをご本人の許可を得て、一言一句変更なしに転載させていただきます。本稿は2024年4月12日に小生に共有していただきました。)
1.上院選挙
まず、上院について概略を述べます。上院の定数は96、州の人口数に応じ各州に議席が割り当てられる下院に対し、上院の議席は下記の表のとおり4州すべてに同じ議席数(23)が割り当てられています(憲法第59条1項)。上院には、一般議席、女性議席、テクノクラート(ウラマーを含む)議席、非ムスリムの議席の4種類の議席があります(同条同項)。上院議員の任期は6年で、解散がなく、3年ごとに半数が改選されます(同条3項)。各州選出の上院議員はその州の州議会議員により、連邦首都圏選出の上院議員は同首都圏選出の下院議員によりそれぞれ選ばれます(同条同項)。つまり、上院議員の選出方法は間接選挙です。上院議員の非選挙権は30歳以上です(第62条)。法律案は両院で可決されれば、大統領の承認を得て法律となりますが、予算案などの財政関連法案(Money Bill)ついては、上院の可決は必要ありません。下院は上院に法案のコピーを送付して助言を求めるだけで、下院が上院の助言を法案に取り込むか否かにかかわらず法案を可決すれば、大統領の承認を得ることになります(第73条)。また、上院議員の連邦大臣や副大臣の数は連邦大臣の4分の1を上回ってはならないと定められています(第92条1項)。それと、ご存じのとおり、上院議員は首相にはなれません。
表 上院の議席の内訳
一般議席 | 女性議席 | テクノクラート議席 | 非ムスリム議席 | 計 | |
バローチスターン | 14(7) | 4(2) | 4(2) | 1 | 23(11) |
K P | 14(7) | 4(2) | 4(2) | 1 | 23(11) |
パンジャーブ | 14(7) | 4(2) | 4(2) | 1(1) | 23(12) |
スィンド | 14(7) | 4(2) | 4(2) | 1(1) | 23(12) |
連邦首都圏 | 2(2) | 1 | 1 | - | 4(2) |
計 | 58(30) | 17(8) | 17(8) | 4(2) | 96(48) |
(注)赤字のカッコ内の数字は今回改選の対象議席数を示す。(出所)筆者作成
前置きが長くなりましたが、さる4月2日に上院選挙が実施されました。今回、96議席の半数の48議席の選挙が行われたわけですが、実際に投票が行われたのは19議席でした。それは、パンジャーブ州で一般議席7議席すべての7とバローチスターン州の11議席すべてがそれぞれ無競争当選となったこと、それに加え、KP州(PTI政権)では下記の理由(注1)により選挙が行われなかったからです。今回の選挙の結果、48議席からKP州の11議席を差し引いた37議席のうち、下記のとおりPPPが最も多い議席を獲得し、ついでPML-Nがこれに次ぐ議席を獲得しました。ただ、PPPはパンジャーブ州で、PML-Nはスィンド州で、それぞれ1議席も獲得できませんでした。
PPP 14(スィンド州10、バローチスターン州3、連邦首都圏1)
PML-N 13(パンジャーブ州9、バローチスターン州3、連邦首都圏1)
また、SIC(PTI)はパンジャーブ州の一般議席で1議席獲得しました。なお、アウラングゼーブ財務大臣がパンジャーブ州のテクノクラート議席で、ナクヴィー内務大臣(パンジャーブ州の前暫定州首相)が同州の一般議席でそれぞれ当選を果たしました(このふたりは選管の当選者リストには所属政党がPML-Nと記載されています)。また、ダール外務大臣(前財務大臣)は連邦首都圏のテクノクラートの議席で当選しています。
(注1)PTI無所属当選者がSunni Ittihad Council(SIC)に加入し、選管に女性と非ムスリムの留保議席の割り当てを求めましたが、選管はこれを拒否し、それをSC以外の政党に割り当てました(詳細はパキスタン情報24‐6を参照下さい)。PTI政権であるKP州においては、PTIは選管の決定に抗議して女性と非ムスリムの留保議席の当選者の就任宣誓式を実施しませんでしたので、選管は同州議会での上院議員の選挙を延期せざるを得ませんでした。
上述のとおり、KP州で選挙が行われていませんが、連立与党は非改選議員を含めた上院全体で過半数を上回る59の議席を獲得したとドーン紙は報じています。
2.イスラマバード高裁判事の書簡
3月27日の各紙は、26日、KP州でダム建設に従事している中国人技術者が乗った車両が建設現場に向かう途中、カラコラムハイウエイの同州ベシャーム(Besham)近くで自爆テロにあい、中国人5人、パキスタン人ドライバー1人の計6人が死亡したニュースを大きく報じたため、見出しはそれほど大きくはありませんでしたが、パキスタン政治、軍と司法の関係についての極めて深刻な内容の記事が掲載されました。この記事により、イスラマバード高裁の現職8名の判事のうちの6名の判事が25日、最高司法評議会(Supreme Judicial Council:SJC)(注2)を構成する5名の判事宛に、軍統合諜報局(ISI)による司法への干渉を非難するとともに、本件を協議するために司法関係者による会議の開催を求める書簡を送付していたことが明らかとなりました。ISIの干渉の具体的な方法は、判事の親族の誘拐、拷問あるいは判事の家に秘密の監視カメラを設置することにより判事に圧力をかけていたという、極めて驚くべきものでした。なぜ、6人の判事がSJCのすべての判事に送付した理由がよくわかりません。最高裁長官に送付するだけで十分だったのではないかと思いますが。
(注2)SJCは、最高裁長官、同長官につぐ先任の最高裁判事2名、(各州とイスラマバードの)高裁の長官のうちで先任の2名の判事により構成されます。大統領は、最高裁や高裁などの判事を解任するにあたってはSJCに意見を仰ぎ、SJCが当該判事について、肉体的もしくは精神的にその職務をしかるべく遂行できないことあるいは違法な行為を犯したことを理由に解任すべしとの判断した場合には大統領はその判事を解任できると憲法第209条は定めています。
この書簡の内容が明るみになると、各地の弁護士会から司法による調査、あるいは透明な調査の実施と司法への干渉に関与した者に対し法的措置を求める声が上がりました。
政府は3月30日、本件を調査するためジラーニー元最高裁長官1名による司法調査委員会を設置すると発表しました。すると、イムラーン・ハーンがこの政府決定を拒否し、また、多くの弁護士団体や市民団体が実権のないひとりの調査委員会の設置を拒否するに及んで、ジラーニー元長官は調査委を引き受けるのを辞退しました。そこで、イーサー最高裁長官は4月1日、本件をスオ・モト(suo motu)(注2)訴訟として最高裁で審理するとして7名の判事による法廷を構成しましたが、4月29日か30日より始まる本格的な審理が最高裁判事全員の法廷を最高裁長官は示唆しています。最高裁長官は司法への干渉は容認できないと明言していますので、軍に対して厳しい判決が予想されます。その場合、軍がいかなる反応を見せるかが注目されます。
(注3)スオ・モトとはラテン語で「独自に」という意味だそうです。憲法第184条3項は、基本的権利の行使との関連で問題が国民にとり重要と考えられる場合、当事者の訴えがなくとも最高裁が新聞報道などに基づき独自にそこに述べられている問題を審理し、命令を下すことを認めています。
4月2日、イスラマバード高裁の8名全員の判事にレーシャム(Resham)と名乗る女性から脅迫状が送りつけられ、封筒の内部には化学物質とみられる粉末が入っていたそうです。翌3日には最高裁のイーサー長官を含む4名の判事、ラーホール高裁の5名の判事にも同じような脅迫状が送られてきました。
パキスタンの著名なジャーナリストのひとりであるザーヒド・フサインは、今回の騒動につき4月3日付のドーン紙に掲載された「判事は声をあげた(The judges have spoken)」と題する寄稿文のなかで、「司法を通じた操作は軍がその政治的支配を永続化するために用いる主要な手段である」とした上で、その具体例として「今回の総選挙前にイムラーン・ハーンに対し、わずか1週間の間に3件の事案で有罪判決が下されたが、その主要な目的は彼を選挙から排除することであった。シャリーフ元首相に対しては、逆に、ロンドンから帰国後、数週間で過去の有罪判決をひっくり返して、彼の選挙への立候補を可能としたのである」と軍の政治介入を非難しています。そして、この問題は司法の独立にとどまらず、将来の民主化へのプロセスを揺るがしかねない危険をはらむものであると論じています。
上述のような軍による司法への干渉、介入は過去にももちろんありましたが、司法が公然とISIの干渉を暴露することはなかったと思います。記憶にあるのは何といってもても、ズィヤーウル・ハック戒厳令総司令官によるZ.A.ブットー前首相(当時)(ビラーワルPPP党首の祖父)の裁判に関するものでした。ズィヤーがブットーを抹殺するために公然と司法に干渉し、さまざまな措置をとったことはよく知られています。ブットーは政敵の父親を殺害した罪でラーホール高裁より死刑判決を受け、最高裁でも四対三の多数決で高裁判決を支持され、1979年4月4日に死刑が執行されました。ブットー裁判は下級裁判所ではなく、いきなりラーホール高裁から始められ、かつ、その裁判長にはブットーに同高裁長官への昇進を阻まれ、反ブットーの判事を任命し、死刑判決を出させました。また、最高裁では、裁判の途中でブットーの無罪を支持していた判事は定年後の任期延長を認められず退官させられました。逆に、ブットー有罪支持の判事の任期延長は認められました。もう一人のブットー無罪支持の判事も病気のために審理の延長を申し出ましたが、拒否され、その判事はその後の審理には加われませんでした。この結果、最高裁では4対3の多数決でブットー死刑が確定したわけです。上述のブットー無罪支持のふたりの判事が判決に加わっていたならば、5対4の多数決でブットーは無罪になっていたはずで、その後のパキスタンの歴史は大きくかわっていたかもしれません。興味深いことにブットー有罪支持の4名の判事はいずれもパンジャーブ州出身者、3名のブットー無罪支持の判事はスィンド、北西辺境(現在のKP州)、バローチスターン州の各州の出身者でした。このようなズィヤーの司法を利用したブットー死刑は「司法による殺人(Judicial Murder)と呼ばれています。
本件に関し、2011年4月2日に当時のザルダーリー大統領は、義父であるブットーに対する裁判と判決につき最高裁にその意見を求めました(注4)。それから22年経った本年3月6日、最高裁はラーホール高裁と最高裁における訴訟手続きは憲法が定める公正な裁判を受ける基本的権利の要件満たしていなかったとの意見を明らかにしました。最高裁が長年ペンディングとなっていた本件について、今回急にその意見を明らかにしたことと、上述のイスラマバード高裁判事による軍批判と関係あるのでしょうか。
(注4)大統領は、国民にとり重要と考える法律問題につき最高裁所の意見を得ることが望ましいと考える場合は、いつでもその問題を最高裁に付託し検討することを求めることができ、最高裁は付託された問題についての意見を述べなくてはならないと憲法第184条は定めています。