(小生が敬愛するパキスタン・ウォッチャーで、日本パキスタン協会会員の中野勝一さんが執筆されたものをご本人の許可を得て、一言一句変更なしに転載させていただきます)
(中野さんの慧眼にはいつも敬服しています。1947年の独立以後、26回も憲法を改正しているというのは極東某国とは随分と違いますね。今回の改正の目玉は最高裁長官の任命を誰がするか、というところと理解していて、これは司法の独立性を減じるものとのご指摘は正にその通りと考えます。一方で、世界でパキスタンほどSUO MOTOを連発する最高裁判長が居ないことも事実です。小生が見る限り、連発されたSUO MOTOの幾つかのおかげで、パキスタンの経済発展が10年は遅れてしまったのでは、と考えてしまうものもあったことは否めません。)
注)Suo Moto = 法律用語です。原告や被告からの申立てではなく、裁判所が自らの判断で訴訟を開始したり調査を行ったりすることを指します。
(以下中野さんメモです)
10月20日夕刻、第26次憲法改正案が上院に上程されてわずか数時間で可決されや、直ちに同法案は下院に回され、日をまたいた翌21日早朝に可決(PTIは投票をボイコット)、同日、大統領の承認を得て、その日の内に公布・施行されました。9月に政府は一度改正案を上程しようとしたのですが、憲法改正に必要な3分の2以上の賛成が得られる見込みがなく断念しました。
パキスタンではこれまで26回改正法案が議会に上程されましたが、3回可決されず廃案となりました(第9次、第11次、第15次の各改正法案)。従って、1973年の現憲法の制定から現在までの51年間で、憲法が定める正式な手続きを踏んだ改正(注1)は今回を含め23回ということになります。このほか、ズィヤーとムシャッラフの両軍事政権下では、憲法の規定に基づかない大統領令、戒厳令総司令官令、行政長官令による憲法改正は、前者の場合25回、後者の場合5回を数えました。
(注1)、憲法改正法案は上下両院のいずれかの議院に提出できますが、いずれの議院においても総議員の3分の2以上の賛成で可決されることが必要です(憲法第239条)。
以前にお知らせしましたように、7月12日の最高裁判決(詳細はパキスタン情報24-12参照)によって政権与党は下院で憲法改正に必要な3分の2議席を失うこととなったのになぜ今回憲法改正ができたのでしょうか。それには2つの要因がありました。ひとつは、野党の政党であり、下院で8議席を持っているイスラーム・ウラマー党ラフマーン派(JUI-F)が最終的に政府の改正法案に賛成票を投じたことです。与党は改正に支持を得ようと、PTIはそれを阻止しようと、同党のラフマーン党首と数週間にわたり協議と続けてきましたが、与党がJUI-Fの支持を得ました。
もうひとつは、PTIの4名の下院議員が党の方針に反し、改正法案に賛成したからです。憲法第63A条は、議員が憲法改正法案などについて所属政党の方針に反し投票するような造反行為を行った場合は(注2)、当該政党の党首がその旨選管に報告し、認められれば、その議席を失うことを定めています。このように党の方針に反して投じた造反議員の一票はカウントすべきか否かが問題となり、最高裁はカウントされないとの判決を2022年5月に下したのですが、最高裁弁護士会が求めた再審で最高裁は今年の10月3日に前回の判決を取り消し、造反議員の一票はカウントされるとの判決を下していましたので今回の前述の4名の改正に賛成する票はカウントされました。こうして政府はめでたく改正法案を上下両院で可決できたわけです。
(注2)首相(州首相)の選出選挙、信任・不信任投票、あるいは財政関連法案の投票で党の方針に反し投票することなども含まれます。
この憲法改正は27の条項を改正するものでした。政府は「司法の改革」と称していますが、今後の司法と行政・議会の関係に大きな影響を及ぼしかねないものです。政府や議会が司法に口をはさみ、司法を行政の支配下に置こうとする魂胆が明白で、法による支配という基本的な原則を裏切り、司法の独立、ひいては三権分立をないがしろにするもとと言っても過言ではないと思います。
では、問題のある改正を2点紹介したいと思います。まず、最高裁長官の人選ですが、12名(下院8名、上院4名)の議員よりなる議会の特別委員会が、新しい最高裁長官は退任する長官に次ぐ3名の先任の判事の中から指名することになりました。各党の委員の数はその政党の議会の勢力に応じて比例配分されることになっていますので、人選には政権与党の意向が反映されることになり、政府は自らにとり好ましい判事を最高裁長官に据えることができるということになります。
このように新しい最高裁長官が議会の委員会によって決定されることはパキスタンでは初めてのことだそうです。最高裁や高裁のトップの人選や任命については、2010年までは特に明確な規定がなく、慣例で最先任の判事を任命されてきたのですが、時の統治者がこの慣例を破って自らの意にかなった判事を任命するということが度々行われ、大きな政治問題となってきた経緯があります。2010年の第18次憲法改正で、このような恣意的な人事が行われないようにと最高裁長官は最先任の判事を任命しなくてはならないと憲法で明確に定められ、行政や議会が最高裁長官の人選には口を出せなくなったのですが、今回の改正でそれができるようになりました。
冒頭で述べましたように、政府は改正法案を極めて迅速に可決した背景についても説明する必要があります。カーズィー・イーサー現長官が任期切れで退任する10月25日が迫っていました。政府は以前からPTI寄りの判決を下していたマンスール・アリー・シャー判事をその後任にはしたくなかったのです。そのためには、それまでに憲法を改正しないと前述の第18次改正どおりの最先任のシャー判事を最高裁のトップにすえなくてはなりません。そこで、今回の改正で前述の通り議会の特別委員会が次期最高裁長官の人選を行うことと、同委員会の人選は現長官が退任する14日以前に行うことを定めました。ただ、その期限の14日を切っていたため、今回に限り3日以内としました。こうして最先任の3名の判事のうちでは3番目だったヤヒヤー・アフリーディー判事が11月22日に次期最高裁長官に指名され、大統領による任命を経て、26日に就任しました。アフリーディー長官の任命はPTIにとって大きな打撃と言えるのではないでしょうか。
ふたつ目は、最高裁の判事(長官は除く)は、従来は最高裁長官、最高裁の最先任の3名の判事、最高裁長官経験者、連邦法務大臣、パキスタン司法長官(Attorney-General of Pakistan)、最高裁の弁護士からなる司法委員会(Judicial Commission of Pakistan)が任命することになっていました。今回の改正で憲法法廷(後述)の最先任の判事、上下両院からそれぞれ2名(与野党1名づつ)の議員、下院議長の指名する女性または非ムスリムの有識者もメンバーとして司法委員会に加わることになりました。司法委員会に議員が加わったことなどによりJCPは政治的な影響を許すことになることは明らかです。
今回の改正で、最高裁と高裁の中に、憲法の解釈や基本的権利の施行について排他的な管轄権を持つ憲法法廷(Constitutional Bench)なる法廷が設置されることになりました。その判事の指名とその任期の決定は前述の司法委員会が行います。従って、政治的に重要な事案をこの法廷が公平に審理できるかはなはだ疑問です。
以上のとおり、今後司法をめぐり与野党の対立を招き、政治は混乱し、いつまでたっても政治的な安定は望めそうにありません。