【転載】パキスタン総選挙「首相・州首相などの選出」

(小生が敬愛するパキスタン・ウォッチャーで、日本パキスタン協会会員の中野勝一さんが2024年2月8日のパキスタン総選挙関連で執筆されたものをご本人の許可を得て、一言一句変更なしに転載させていただきます)(本稿は総選挙後の2024年2月末から3月頭に執筆されたものです)

1.2月23日、パンジャーブ州議会、24日にはスィンド州議会、バローチスターン州議会とKP州議会が28日にそれぞれ召集され、議員の宣誓が行われました。26日、パンジャーブ州ではシャリーフの長女マリヤムが、スィンド州ではムラード・アリー・シャ(PPP)がそれぞれ州首相に選出されました。パンジャーブ州の女性州首相は初めてのことです。ムラード・スィンド州首相は3期連続の首相就任です。そのほか、KP州ではPTI、バローチスターン州ではPPPの州首相が誕生しました。以上の結果、各州の州首相は、パンジャーブ州がPML-N、スィンド州とバローチスターン州がPPP、KP州が PTIとなりました。

2.2月29日、下院は召集されました。ただ、その召集をめぐりひと悶着ありました。大統領は、選挙から21日以内に、つまり遅くとも29日までに下院を召集することが憲法で義務付けられているのに、アルヴィー大統領(PTI)は、女性と非ムスリムのそれぞれの留保議席の各党への割り当てが完了していないことを理由に規定通りの下院の召集を拒否したからです。そこで、(解散前の)議長が召集し、29日に下院を開会することを発表しました。召集を拒否し他の政党から強い反発を受けていた、アルヴィー大統領は28日の夜になって召集を承認しました。同日、当選した議員による就任の宣誓が行われました。

3.3月3日首相選出選挙が行われ、PML-Nのシャハバーズ・シャリーフ前首相がPTIのウマル・アユーブ・ハーン(Omar Ayub Khan注)を破って、第24代首相に選出されました。これにより、シャリーフが首相を3度、パンジャーブ州首相を2度(1度は暫定州首相)、シャハバーズ首相が首相を2度(2期連続)、パンジャーブ州首相を3度、彼の長男ハムザとシャリーフの長女がパンジャーブ州首相をそれぞれ1度務めた(務める)ことになります。

(注)ウマル・アユーブ・ハーン(以下ウマル)はアユーブ・ハーン元大統領の孫。父親のゴーハル・アユーブ・ハーンはアユーブ元大統領の次男で、元外相・下院議長(故人)。母親のゼーブ夫人(故人)は、ビボジー・グループ(Bibojee Group)の創始者ハビーブッラー・ハーン・ハタックの娘です。ウマルのシェールナーズ夫人は同じパターン人のアヌワル・サイフッーラー・サミーナ夫妻の長女です。サミーナ夫人はイスハーク元大統領(故人)の長女ですから、アユーブ家はイスハーク元大統領と姻戚関係にあるということになります。

1958年10月、アユーブ・ハーン陸軍総司令官は戒厳令総司令官に任命され、ハビーブッラーはその後任と目されていましたが、クエッタ出身のモンゴル系のハザーラであるムハンマド・ムーサーが任命されました。1998年10月、シャリーフ首相(当時)がジャハーンギール・カラーマト陸軍参謀長を解任しました。その後任には中将の中で最先任であったハビーブッラーの長男アリー・クリー・ハーン・ハタックが有力視されていましたが、シャリーフ首相はパルヴエーズ・ムシャッラフを任命しました。当時、親子2代にわたり軍のトップの地位を逃したとの記事を英字月刊誌のニュースラインかヘラルドで読んだ記憶があります。彼の弟(ハビーブッラーの3男)アフマド・クリー・ハーン・ハタックも(空軍の)軍人だった経歴の持ち主で、ナスリーン夫人はアスガル・ハーン元空軍総司令官(故人)の長女です。アスガル・ハーンと言えば、軍を退役後、Tehreek-e-Istiqlalという反PPPの政党を結成しましたが、同党はパキスタン政治にさほど大きなインパクトを与えることはありませんでした。なお、ビボジー・グループは日産ディーゼルやいすずとそれぞれ合弁でトラック、バス、乗用車の製造事業を行っていると承知しています。前者の合弁会社はガンダーラ・ニッサン、後者のそれはガンダーラ・インダストリーズです。

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